佐藤 緑
干刈あがたと毛利悦子
佐藤 緑

44年前の都立富士高校入学式で干刈あがたと毛利悦子(干刈あがた資料館館長)と私は初めて出会いました。1年A組の教室から(余談ですが、古い木造校舎 で、職員室からは一番遠い教室だったので、先生が到着する迄時間がかかり、その分授業がさぼれ、ならば終わりの時間も少し。。。。。と誰かが考えて、私製 ベルを教室の何処かで鳴らして、先生には早めにお帰りいただいた事もありました。)芽生えた友情は、体育館片隅の汚れた小さい新聞部部室や(また余談です が、隣は山岳部部室でこのホームページ編集長、編集部員、管理人等、富士高校山岳部出身なのも何かのご縁?)夏休みの生物部主催“清里高原 植物採集合 宿”等で(またまた余談ですが、あの時、夜の新宿駅の構内で列車を待つ長い行列に加わり、階段に座り込んで夢中になったトランプゲームは、何だったかし ら? 誰か憶えてる?)育まれてゆきました。

干刈あがたが初めて自費出版した『ふりむんコレクション/島唄』を書店に置いてもらう為に飛び込みで書店をまわり、交渉し「悦ちゃんは他人の為だとびっく りする程積極的になれるのねー」と干刈あがたを感心させましたね。 こんなことも有りましたよね、当時長野に住んでいた悦子さんが上京し、その足で目黒に住んでいる干刈あがた宅を訪れるため澁谷駅でバスに乗り継ぐ時、駅前 のデパートにふと立ち寄り「入り口近くで婦人服のバーゲンをしていたので3着も買っちゃたのー」と大きな買い物袋を持って来たとか。その後二人でファッ ションショウを展開し最後に干刈あがたが一着お買い上げ(私達3人は、身長・体重は同じぐらいでした)。

今もコスモス会(コスモス忌)運営の為に各方面の皆さんと交渉する時には、和服の似合う楚々とした外見と少女の様な明るい声の毛利悦子さんからは、想像も つかない程の積極的な強さと粘り強さを発揮しています。言いかえれば、にこやかに毛利さんに頼み事をされると誰も断れなくなってしまう不思議な力を持って いて無理押しをしているわけではないのに、何時の間にか彼女の思う通りになってしまっているのです。

干刈あがたが闘病生活をおくった代々木の病院へ「毎日、顔を見ないと落ち着かないの」と、通いつづけ、元気づけ、励まし続けた毛利悦子さん。 他人に甘えることが下手だった干刈あがたが心から信頼し、唯一甘えることが出来た親友が毛利悦子さんだったと思います。
干刈あがたの二人の息子さんと一緒にその最後も見届けましたね.....。
その後も、途方にくれる息子さんの良き相談相手にもなっていましたね。


“他人の為には驚くほど積極的になれる”毛利悦子さん、このホームページ『干刈あがた資料館』の為にこれからも頑張ってくださいね。
私たち仲間も微力ながら応援しますから。