(二)「プラネタリウム」─離婚届を出す前の“家族の姿”の最後を記念した作品

 

 「プラネタリウム」は、干刈あがたが特別な思いを込めて書いた作品だと思われる。干刈は“海燕新人文学賞”を十月に受賞し、十二月十六日に離婚している。「樹下の家族」を書いたことによって離婚を決断した干刈が、離婚届を出す前に、二人の息子たちのために、“家族”としての最後の姿を記念として残すために書いたのがこの「プラネタリウム」という短篇だったと考えられる。

 「プラネタリウム」は、「樹下の家族」の主旋律である“夫と私“息子たちと私”“私自身の独白”部分に焦点を絞り、登場人物の設定も変えないで書かれた「樹下の家族」の主旋律限定の姉妹編といってもいい作品である。

 「プラネタリウム」は、仕事が忙しくて家に帰ってこない父親を待つ息子と母親が、今夜は帰ってくるかもしれないと思いながら過ごした土曜日・一日の出来事が描かれている。「昨夜(金曜日)は、この冬はじめて出した炬燵を囲んで坐ったせいか、何もおこらなかった」とあることから、離婚前・一九八二年初冬の土曜日であることがわかる。離婚(十二月十六日)以前の描写であり、かつ初冬の土曜日を一九八二年のカレンダーで探してみると、炬燵を出した金曜日は十二月二日であり、「プラネタリウム」に描写されている土曜日は十二月三日ということになる。つまり母親と二人の息子が父親を待った最後の土曜日ということになる。もう少しつけ加えると、夫の浅井潔氏と妻の柳和枝は一九六七年十二月四日に結婚している。婚姻届を出しただけの結婚記念日かもしれないが、最後の土曜日は二人の結婚記念日の前日の土曜日・十二月三日だったのである。

 干刈あがたは、父親が帰ってこなかった最後の土曜日を、二人の息子たちのために「プラネタリウム」という作品に刻印して残して、離婚届を出したと思われる。八四年に発表された「ビッグ・フットの大きな靴」(『文学界』9)に、その間の事情について言及されている場面がある。

 

「あの紫色、忘れられないわ。自分の机もなくて食卓で、あの花を見ながら二作目を書いていたのよ。夫とうまくいかなくなっている女が、母親として、両親の気配を察している子供たちの姿を見ているというものだった。その最後の一章がどうしても書けなくなったの。それならお前はそういう状態をどうするのだという問いをつきつけられて、自分の気持をはっきりさせなければ書けなくなった。それで離婚届を区役所へ取りに行って署名捺印して夫に渡して、やっと最後の章が書けたの。息子たちにとっては迷惑な話よね」

「ビッグ・フットの大きな靴」

 

 作中の紫色の花を新人賞の授賞式の時贈ったのは、文乃=道浦母都子であり、離婚直後の彼女との会話の場面である。また「窓の下の天の川」には離婚届を日曜日(たぶん十二月十一日)に夫から受けとった場面が出てくる。

 

 日曜日の事務所街のがらんとした喫茶店で、彼が出ていった途端に、わたしの眼からとつぜん、涙がぼとぼとと流れ落ちた。わたしとわたしの保証人が先に署名捺印した離婚届を彼に渡し、彼と彼の保証人が署名捺印したものを、わたしの方から受け取りにいったときだった。紅茶の中に涙がぼたぼたと落ちるのは、なんだか滑稽だった。わたしは涙を流しながら、唇では笑おうとした。

「窓の下の天の川」段落十一

 

「プラネタリウム」の最後の章=結びは、干刈あがたの二人の息子たちへの切ない想いが凝縮され、結晶化された描写になっていてたいへん印象深い。短いので結び全文を見てみよう。

 

 風が鳴り、カサカサと音をたてて枯葉が路地を走っていった。母親は、蒲団をもう一枚ずつ掛けてあげようと、少年たちの部屋へ行った。

 兄シミジミ少年の部屋はからっぽだった。

 ベッドのネジを抜いて壊してしまったために、畳の上に蒲団を敷いて寝ているホトホト少年の、隣りの部屋のドアを開けると、真っ暗である。

  突然、真っ暗な部屋に、ぼたん雪のような光が舞いはじめた。彼女はめまいしそうになり、立ちすくんだ。

「きれい。これ、なあに」

「プラネタリウム。お兄ちゃんが作ってくれたの。」

 兄はティッシュペーパーの空箱に小さな穴をたくさんあけ、中に懐中電灯を入れて、ゆっくり回していた。兄弟は四角い部屋の底に蒲団を二つ並べ、仰向けになって天井を見上げていた。

 彼女はしばらく少年たちの枕もとに坐って、天井を壁と星を見ていた。懐中電灯と星穴との焦点距離や、動かし方によるのか、光は小さなはっきりした星になったり、星雲のようにぼやけたり、流れる星のようになったりした。

「きれいね」

「きれいだね」

「お母さんも今夜ここに寝よう」

 ドアをぴったり閉ざすと、外からの明りはどこからも入ってこない真暗闇になった。彼女は手さぐりで、二人の少年の間にもぐりこんだ。

 暗黒は天井や壁の距離を消し、その中に浮かぶ光の点々は、果てしない宇宙空間の何億光年の距離をつくりだした。

 現実の世界の中に切り取られた箱型の宇宙の底に、三人は仰向けに横たわっていた。天もなく、地もなく、涯もない、広漠とした宇宙空間。「アア」と声をだせば、それはどこまでも細い細い糸を引いて、無限の闇のひろがりのかなたに吸いこまれていきそうだ。

 腕を伸ばしても何にも触れず、返ってくるもののない暗黒空間に、三人は浮遊しはじめていた。星がゆっくりと回りはじめた。三人はその中心にむかって漂いながら、だんだん、だんだん小さくなり、極微小の宇宙塵となりつつあった。

アア──

 彼女の声が、細い細い糸をひいて、無限の闇の広がりのかなたに消えていった。それは哀しみの声ではなく、ひそかな歓びの声のようなものであった。

「プラネタリウム」結び

 

 「プラネタリウム」という短篇は、この“結び”のシーンに向かって集束されるように描かれている。あるいはこの“結び”のシーンが最初に像を結んで現れ、このシーンに向かって描き進められた作品だということができる。そして、「プラネタリウム」の最後を『それは哀しみの声ではなく、ひそかな歓びの声のようなものであった。』と書き終えることができた時、干刈あがたは離婚届を出す決意をしたのではないかと思われる。

 「プラネタリウム」は「樹下の家族」の作品設定をそのまま引き継いで描かれた姉妹作である。しかし「樹下の家族」の地の文章が“私”で書かれているのに比べ、「プラネタリウム」の地の文章は“私”ではなく、母親と息子たちをある高みからみている作者の視線で書かれている。この「樹下の家族」と「プラネタリウム」の文体の相異をみてみよう。

 

 その頃は毎晩、家の門の小さな鉄扉が風で音を立てるたびに、私は耳をすました。独立して仕事場を持ち、柴田が家に帰らない日がたびたびあった。彼は仕事場に寝袋を持ち込み、仕事が切れない時にはソファで寝るのだった。でも・・・・・・と私は思った。

「樹下の家族」

 

 静かといえば静かな夜だったのである。

 風が強く、時々、枯葉が窓を打った。外は大砂塵ではないが、少年たちの父親は、帰ってきた時が帰ってくる時の西部劇の男、現代のゴールドハンター広告マン。彼らがカイシャと呼ぶ父親の仕事を援護するため、母親は税金計算の電卓を叩いていた。シミジミ少年は鼻をピクピクさせながら、新しいペンを作るための割箸を削り、ホトホト少年はプラモデルを作っていた。

「今、門が開く音がしたんじゃない」と弟

「風の音だろう」と兄。

「お父さんどうしているかな」

「仕事が忙しいんだよ。この前僕がカイシャへ泊りに行った時も、夜中の二時まで仕事してたんだぜ」

「プラネタリウム」

 

 この二つの作品の文体の相異を、比喩的にいうとしたら、「樹下の家族」の“私”は、どうして私は夫とうまくやっていけないのか、もっとストレートに気持をぶつけたら変れるかもしれないと迷い・悩んでいる“私”の文体であり、「プラネタリウム」では、そんな“母親”を離婚を決断した作者の視線からながめている文体だということができる。

 昨年コスモス会から発刊された「干刈あがたの文学世界(鼎書房)」のなかで、長男の聡氏に赤ん坊が誕生したことを柳伸枝さんが短い文章で紹介されている。

 

 去年の暮れ、干刈の長男に赤ん坊が生まれました。

 長男は「煙草がすいたいから」と、赤ん坊との面会をすませた私を駅まで送ってくれ、「ときどきなみだ眼になったりしながらやってるよ」と、慣れないながらも、初めての経験を充分に楽しんでいるようでした。

「おかあさんに見せたかったわね」

 素直に頷いた後、切実な声を発しました。

「ああ、手伝ってほしかったなあ」

「おかあさん不器用だから、結構ヘタクソかもしれないよ」

 すかさず、憮然とした声が返ってきました。

「でも、僕や圭を育てたんだから」

なんだ、わかってるじゃないの。

 赤ん坊が誕生するということは、ひとりのあたらしい父親が生まれるということなのですね。

“いつもニラミを利かすひと” 柳 伸枝

 

    また福島泰樹氏が“キリマンジャロに死すべくもなく”のなかで、次のように書かれていることに驚いた。

 

 干刈さん、三年前におかあさんが逝き、次いであなたが心血を注いで育てた息子・次男圭君が死を遂げたということを、長田さんが悲痛な声で話していたよ。

 

 私はコスモス忌の宗建寺の会場で親族を代表して参加されていた圭氏に何度かお会いしたことがある。圭氏のはにかんだような人なつっこいほほ笑みが印象的だった。

 今回「プラネタリウム」を再読して、これは干刈あがたが二人の息子のために書いた作品であると考えた。干刈あがたの作家デビューと離婚によって、これまでの生活と環境が一変し、子供たちをさまざまな喧騒に巻き込むことになるだろう、そうなる前に危うい家族の姿ではあるけれど、その“すがた”を“かたち”を母親・干刈あがたは残しておきたかった。息子たちが大きくなってから読んでくれることを祈り、願って書いているデビュー直後の干刈あがたの姿が垣間見られる作品であるように思われた。

二〇〇五年三月十二日