光よあがた(辺境)まで届け!
~干刈あがたと同時代者的ジェンダー論~ 加 藤 敦 也
あがたというひらがなに漢字を宛てるとするならば、県となり、中心に対する周縁、辺境の意味を指す。有史においては、実に様々な社会の内部で中心に対す る周縁は政治的に作られてきた。ヒエラルキカルな中心と周縁の関係性を維持している社会においては、周縁とは光のあたらない部分であり、「語られるべくも ない」ものとされている。そうした社会では「光」のあたらない周縁に生きる人間は、ごく僅かな中心に生きる支配的な層の人間に比べて、圧倒的に大部分の数 でその層を成している。また、世界的に(!)ドミナントな歴史や社会の問いの立て方は、ユーロセントリック(ヨーロッパ中心主義的)な視点が趨勢であり、 ヨーロッパ(中心)対その周縁地域という対立図が措定できるように、(1)中心と周縁の関係図は様々なレベルで定立可能である。
さて、私がここで問題にしたいのは、現代的な周縁とは何か、という事である。より具体的に言えば、例えば現代の日本社会を近代社会という一つの枠組で措定し、洞察する事が可能であるならば、近代における周縁とは何を指し示すのか、という事である。
ここでは、1980年から90年代初頭にかけて活躍した干刈あがた(1943~1992)という小説家の著作とそのライフコースを通して、そこで描かれ た周縁の問題群、例えば一人の「女性」としての生のあり方、「コドモ」の問題、離別母子(父子)もしくは単親家庭の問題、「男性」の問題、そして何よりも 同じ時代と社会を、意識として共有したそれぞれの同時代者のあり方とその問題を、フェミニズムや社会学の思想を援用しながら、一つの「縮図」としての周縁 の問題を考察してみたいと思う。
1 無数のあがたたちへ
干刈あがたという名前は小説家としての筆名であり、本名は浅井和枝という。「干刈」というのは「光」という漢字の宛字であり、あがたは漢字に直すと 「県」となり、国に対する地方、中央に対する周辺あるいは周縁の意味を指す。(詳しくはインターネットホームページ「干刈あがた資料館」参照。アドレスは http://www.wanet.ne.jp/ )。この筆名には浅井氏の「光よあがた(辺境)まで届け」という願いが込められている。ということ は、この浅井氏の願いから読み取れる意味として、その前提には「光」の届かない「あがた」(周縁、辺境)がある、という現実がその基となっている、という 願いに込められた背景を見て取る事もできる。だとすれば「光」の届かない「あがた」とは、具体的に何を指す事になるのだろうか。
2 女性であるという事 ―樹下の家族―(周縁の問題1)
干刈あがたという小説家の日本の文壇における評価は実はさほど高くはない。「海燕」新人文学賞(『樹下の家族』)、芥川賞候補作三作品(『ウホッホ探検 隊』、『ゆっくり東京女子マラソン』、『入江の宴』、うち『ゆっくり東京女子マラソン』は芸術選奨新人賞)、山本周五郎賞候補作二作品(『黄色い髪』、 『ウォークinチャコールグレイ』)等、小説家の経歴としては立派すぎるほどの結果を残しながらも、他の同時代の作家と比べて彼女を批評の対象とした文章 や特集の少なさがそれを物語っている。また、干刈あがたは1992年にその生涯を終えているが、同じ頃、先に亡くなった中上健次や井上光晴などの作家が没 後、多くの文芸誌で追悼特集を組まれ、その業績を讃えられたのに対し、干刈あがたの死はひっそりと伝えられただけであったという。(赤崎久美、「等身大の 私が描き出したもの―干刈あがた論」女性学年報、1993)。それを象徴するように、干刈が『樹下の家族』で海燕新人文学賞を受賞した時、選考委員の一 人、阿部昭が選評として次のように述べている。
『樹下の家族』は、作品の外見はともかく、内実は衣食足って暇をもてあまし情報に溺れる都会の主婦の、いつ果てるともないお喋りである。作者はそうでな いというかもしれない。それならこの種のスクラップの遊びにふけることが自体結構な暇つぶしである。(前掲書からの引用、出典は海燕1982年11月号)
また、著名な文芸批評家である奥野健男や川村二郎も、彼女の作品を批評の対象としてはいない。(赤崎、前掲書)
前掲の阿部昭の選評はその文学理論はともかくとして、当時の文学界や社会の「男性的な」女性観が表れている。例えば、「衣食足って暇をもてあま」す主婦 という物言いには、女性の家事は労働ではなく今更振り返る必要のない自明なものであるという前提を見出すことができるし、何よりも「暇をもてあま」させて いる支配的な男性への言及はなされないし、相対化されていない。また、「いつ果てるともないお喋り」という物言いは、『樹下の家族』の内容から判断して、 明確に女性に対する抑圧者あるいは蔑視者としての顔を一瞥することができる。
干刈の小説『樹下の家族』では、子育ての楽しみを語ったジョン=レノンや六十年代安保闘争の象徴であった樺美智子といった同時代者がキーワードとなり、 立ち寄った書店で出会った沖縄出身の若者との会話も交えながら、自らが歩んできたライフコースを振り返りつつ、現時点での夫との関係や子どもとの関係、ま たは自らがこれから歩んで行く人生についての悩みや感慨を描いたものである、と私は解釈している。このような自らの「悩み」について綴った文章というの は、一般に小説世界にはよく見受けられるものである。(勿論、悩み自体は千差万別である。それぞれが抱える悩みそれ自体は集合化や統合化できるものではな い。)
おそらく阿部は干刈の悩みを文学的な(つまりそれまでの文学の流れの中で固定化された、文学という世界独自の固定観念的な)悩みではなく、「女性」のド メスティックな悩みとして解釈したのであろう。勿論、小説はドメスティックな悩みを文学的な文字表現に置き換えることで、文学としての価値を生じさせるこ とができる。しかし、それだけではなくここで阿部が干刈の作品の文学性に対して否定的になるのは、女性のドメスティシティは一家族の家長である夫、現代的 にいえば稼ぎ手たる男性によって保障されるものであり、その男性の「恩恵」で「衣食足る」女性のドメスティックな悩みは、安部だけではなく、大多数の男性 にとって、それを女性が語るということ自体が「いつ果てるともないお喋り」と一蹴される問題として感知される、という問題に意識的だからであろう。
皮肉にもこの阿部の選評は「周縁としての女性」というフェミニズムにとっての問題を暗喩している。それは「女性=専業主婦」というドミナントな社会観であり、非労働者であるという前提である。
フェミニズムの理論では、「女性」は戦後において専業主婦化したという。つまり近年において固定観念的に考えられている「専業主婦」という存在は、実は新しいものなのだ、というわけである。
家族社会学者落合恵美子によれば、二十世紀の初め頃、日本の既婚女子は欧州諸国の既婚女子と比較してその労働力率が高いことを指摘している。二十世紀の初 めといえば、日本ではまだ雇用労働があまり普及していない時代である。経済学者のカルドアの説に従えば、農林水産業に従事する人口の割合が80%以上を後 進国、60%―40%を中進国、10%以下を先進国とするから、この定義では二十世紀の初頭は日本は後進国であった。(「岩波講座1現代の教育今教育を問 う」暉岡淑子「生活世界の変貌と教育」77ページ参照)。つまり、農業労働が社会の中で主流であった時代、女性は家事以外の労働にも従事していたのであ り、それが女子労働力率の高さとなって表れる、というわけである。 さて「もはや戦後ではない」という言葉に象徴されるように、1955年に始まり1980年まで続く経済の高度成長期において、それまでの産業構造はドラ スティックに転換した。つまり日本社会は雇用者、サラリーマンを中心とする社会へと変わったのである。それと同時に女性は専業主婦化し、性別分業が明確化 したのである。(落合恵美子「21世紀家族へ」有斐閣選書、1994)
こうして新たな形で女性は男性の「周縁」として定位されることとなった。しかし、「周縁」という問題は女性だけの問題ではない。男性に過剰なまでの労働 を要求する社会では、家族というユニットの中で考えると、容易に男性が「周縁」と化す可能性を秘めている。春日キスヨの「父子家庭を生きる」という著作の 中では、男性は女性に比べて労働収入が多いとされ、それを理由に母子家庭と比較して、父子家庭が育児介護等の諸サービスが得られないという、厳しい現実が 描かれている。
また、典型的な核家族の母子にとっては、「父親」である男性が労働にほとんどの時間を搾取され、家庭を顧みる余裕がないという問題は、それ自体が母と子を周縁に押しやり、特に母にとっては家庭における問題がその身一つに押しかかってくるという、深刻な問題を提示する。
干刈あがたはその意味において同時代の多くの女性と同様、周縁に生きるものであった。周縁に生きるものとしての深い悩みは、結婚という制度やその社会の 中で自明とされているような家族像に対して、鋭い疑問を提示する。干刈あがたの小説家としてのデビュー作『樹下の家族』の中で、主人公は、学生運動の最中 に命を落とした樺美智子に次のように語りかける。
美智子さん、私は一人の妻としては夫を愛し、夫に寄り添っていきたい。夫もまた不器用ながら、それに応えてくれると思います。でも、夫と私とのあいだで 何かが違っている。確かに夫は特別に仕事の好きな人間だけれど、その背後に彼を取り囲んでいる巨大な現代社会というものを感じるのです。(中略)アァウゥ アァウゥアァウゥアァウゥ、何かもう一度もとのところから考え直そうよ。アァウゥアァウゥアァウゥ、私はあなたが好き、男が好き、仕事も認めている、働い てくれて有難いと思っている、でももう仕事はいいから、こっちへ来て……。
けれど美智子さん、情報の時代の人間である私は、女たちが言葉にならない言葉で訴えようとしているアァウゥに対する、背筋も凍るような一つの、そして最 もあり得るかもしれない応答も知っています。主婦症候群という心や体の変調に陥った女たち、寂しさから浮気に走った女たちのレポートの中で、一人の夫が 言った言葉です。
<私はもう妻が何を考えているのか、いちいちかかわりたくありません。だが、私が一生懸命働いているあいだに、妻が暇をもて余してわけの分からないことを考えていたのかと思うと、すべてが虚しくなります>
前述の阿部のようにここでも「暇をもてあま」す妻、という男の視点が出てくる。これは干刈にとって、もしくは同じ時代を生きる無数のあがた(周縁、辺境)にとって、まさに「背筋も凍るような、一つの」応答である、と干刈あがたは書いている。
「アァウゥ」という言葉にならない声、はここで男性に、そしてそれを取り囲んでいる社会にまっすぐに投げかけられている。「暇をもてあます」女性を作り出した、男性への声である。
しかし、この「アァウゥ」は、干刈のなかで次第にはっきりとした声となって表れるようになる。そしてそれは、干刈のような一つ一つの声が、共鳴しあい、連帯していく姿を生み出すのである。
2 ゆっくり東京女子マラソン(周縁の問題2)
『樹下の家族』に続いて発表された『ウホッホ探検隊』では、主人公は離婚に踏み切っている。この作品の中で「僕たちは探検隊みたいだね、離婚ていう、日 本ではまだ未知の領域を探検するために……」と話す息子の言葉に象徴されるように、母と子は離婚を契機に、また新たな家族と生きて行くことの意味を模索し ていこうとすることを始めた。
社会学者の天野正子は、『ウホッホ探検隊』が発表された1984年、離婚率(人口千人あたり)が1.5と戦後最高を記録し、なかでも結婚歴「十五年以上 二十年未満」の歴史の長い夫婦の、いわば熟年カップルの離婚が増え、1970年の6.1%から82年の11.8%へと二倍近く上昇している事を指摘した上 で、次のように述べている。
「(熟年カップルから結婚の安定性が揺らぎ始めている)その理由は、離婚に対する社会の許容度の変化など、いくつもあるが、なによりも中年の女性が一人で生きることを恐れなくなったためである。」
天野の「干刈あがた」論は、岩波社会学講座「ライフコースの社会学」に掲載されているものだが、その中で天野は特に現代における中年の定義と、干刈あが たの世代(1940~1944の第一コーホート)が背負った、ライフサイクルの変化に着目する。天野によれば、第三期の出現(第三期とは戦後における女性 の中年期*1)とその長期化と言う女性のライフステージ上の変化に初めて向き合うことになった世代が干刈の世代であると言う。それはポスト子育て期(長子 出産から末子就学までの最も多忙な子育ての期間を終えた時期)の長期化を意味し、さらには家事育児以外の活動をする、時間的な余裕が生じることも意味す る。(天野、1996)
興味深いことに、干刈の小説に登場する母と子は極めて対等な関係性を構築している。「ウホッホ」の中では、それは離婚した原因について尋ねる息子に真剣に しかも分かりやすい様に語る姿であり、「ゆっくり」の中では、銭湯に行く約束をしてきたコドモたちの意志なり行為なりを尊重する(「家にお風呂があるじゃ ない」と言う言い方をしない)姿として書かれている。社会的な文脈の中での「親」と言う役割に縛られない親たちの姿がそこにはある。それは『樹下の家族』 の中の言葉を借りるならば、「子供を育てるというけれど、本来はほうっておけば早く自立するものを、手にかけることで妨げているという感じ。」という干刈 の考えでもある。そしてそれは自らが歩むだろう道への決意表明ではなかったか。なぜなら、この干刈の言葉の裏を返せば、「子供に手をかける」事で、みずか らの「個人としての」自立を妨げることになるからである。しかしそれがまた干刈にとっての悩みだったのではないか。
それを象徴するように『ゆっくり東京女子マラソン』という干刈の小説の登場人物で、結城明子という、Gパン姿の、離婚してその身一つで家族の生計を支える母親がいる。その母親と息子の会話を次に紹介したい。
(息子伸二のせりふから)「ねえ、春休みどっか連れてって」
(明子)「この仕事が終わったらね」
「いつも仕事って……」
「だって稼がなくちゃならないんだもん。健一君と伸二君と<ブン>と<フン>と<ヒダリ>と<ミギ>と<さびし>と<ユリシーズ>と<ホーマー>の餌代を。それから<べら坊><テヤンデエ>」
「つまんないの」
背中で伸二がつぶやいた。
「お母さんは結婚したくなっちゃったな。奥さんが欲しいな。家の中をいつもキレイにして、あったかいご飯を炊いて、にこにこして伸二たちと遊んでくれる奥さんが」
ああ、私は男と同じことを言っている、と明子は思った。<仕事が忙しい>から。<やさしくて家をしっかり守ってくれる女房がいい>だって。そういう男に反撥していたはずなのに。(干刈あがた『ゆっくり東京女子マラソン』朝日文庫152ページから153ページ)
この小説を読んだことのない人のために弁解しておくが、「ゆっくり」はこうした家庭に対してネガティヴなイメージを植え付ける小説ではない。「ゆっく り」のあらすじは、PTA役員として知り合った母親たち五人が、学校の問題と立ち向かう中で、それぞれの生き方を見詰め直し、みずからを東京国際女子マラ ソンを走るランナーになぞらえ、「個人として」生きることを確認しつつ、家庭の<外>で新しい友情を紡ぎ出していく、女性たちの確かな充足感を描いた作 品、と言えるだろう。しかしその充足感に付随する無力感も干刈は書いている。
朝日文庫版の解説をつとめる芹沢の指摘を読めば、上記の明子の感慨が分かると思う。
(中略)明子の感じた充足感のすぐ裏側に無力感が張りついていないと誰が保障できるのだろう。明子たちの充足がまぼろしであった、というのではない。そ うではなく、充足感がほんものであるためには、それがいつでも無力感に反転してしまうという自覚が不可欠だということをいいたいだけだ。(中略)
いつなにをきっかけに無力感が絶望的な自分事と化すか分からない。その事に例外はない。干刈あがたは現代の不安がここにあると指さしたのだった。それと ともに充足感もまたこうした不安を直視するなかに満ちてくるものだと言いたかったのである。(芹沢俊介、朝日文庫版『ゆっくり東京女子マラソン』解説)
芹沢が卓抜にも指摘した「無力感」というのは勿論社会全体に流れている無力感と言っても過言ではない。それは、この日本社会で過剰に労働を求められるこ とに対して疑問を抱いたとしても、その要求には抗うことができない労働者の無力感でもある。取りあえず会社側の要求に沿う形で労働し続けること意外の選択 肢を見つけることが、困難な社会の無力感である。抗えば、いとも簡単に「食いはぐれ」、路頭に迷う。(最も、現在においては「抗わなくても」、「食いはぐ れて」しまう。)そうした無力感が日常化されて行くと、それはニヒリズムやシニシズム(冷笑主義)へと「鈍化」されて行く。芹沢の視点に依拠すれば、まさ にあがた(周縁、周辺、辺境)の問題は女性だけの問題ではないのである。
3 光よあがたまでとどけ(周縁の問題3)
さて「母子」が生き辛い思いをしているのならば、「父子」も生き辛い思いをしている、というのは事実である。前掲の「父子家庭を生きる」の中で、春日は 「両親家族」(二親家族)と言う社会の前提とそれが作り出す偏見が、「父子家庭」を生き辛くするという事実について具体的な例を挙げて述べているが、同時 に広島市で開かれている「父子家庭の集い」がそれぞれの「父子家庭」にとって心強い場所である、と言うことにも触れている。(春日、前掲書)。「周縁」に 生きるものの連帯が、芹沢のいうようにいつ無力感に反転するか分からないものだとしても、連帯しているという事実そのものが個人にとって強い心の支えにな る、というのはそれもまた否定し得ない事実だろう。
干刈の「ゆっくり」の中でもそれぞれの形での連帯が、一人にとってどんなにか心強いものであるかということを見事に描き出している。
例えば、子供同士の関係でいけば母子家庭を生きる結城伸二と父子家庭を生きる田中厚との友情。母子家庭ということで日曜日にお父さんがいない伸二は、同 じく仕事のためお父さんがいない厚と遊ぶようになる。ところが厚はいじめられている子である。厚と遊ぶ伸二も「いい顔しやがって」という具合に、クラスで 仲間外れにされるようになる。そのことについて、伸二の母である明子の心情の描写を以下に示してみる。
田中君は両親が離婚したために、タクシー運転手の父親と二人で暮らしている子だ。日曜日に何度か遊びに来たことがあるので明子も知っている。日曜日はた いていの家に父親がいるし、<お父さんに付き合ってあげる>子も多いので、友達同士で遊ぶことは少ない。それで<お父さんのいない日曜日>の田中君と伸二 は一緒に遊ぶ友達なのだった。誰が言い出したのか分からない仲間はずれで、田中君が仲間はずれにされ、次に伸二。子供というのは隠されていることに鋭い嗅 覚があるのかもしれない。伸二は自分が田中君の味方になった<良い子ぶり>で仲間はずれにされたと言っているが、もしかしたら子供たちは伸二を田中君と同 じように<クサイ>と感じたのではないだろうか。今はそれは思い過ごしだとしても、いつか伸二は、中身が腐っていても表向きは二親揃った<健全家庭>とい うからに守られた子供たちから、異物として見られる日が来るかもしれない。(『ゆっくり東京女子マラソン』)
それは思い現実であり、芹沢が指摘したような無力感であろう。しかし同じくこの小説の中で書かれているように、「滅多に笑わない」田中君を笑わせることができるのは、伸二だったり、他の同じく「子供」と言う共通項を持った存在であろう。
この小説に出てくる母親たち五人もまた連帯する。それは確かな実感としての友情である。前掲の天野正子は「ゆっくり」で描かれている友情について次のように述べる。
「友愛」とは、同時代の疎外された状況を共有する個人のありようを「共感」という方法でとらえるときに生まれる感情をさす。そのような感情を媒介にし て、女同士のヨコの相互性がどのように深められていくかを追いながら、干刈は「個別の家族に分断されるから結婚後の女に友情はない」という命題が、もはや 成立たないことを明らかにした。おそらく干刈は、その分断された状況のなかにこそ開かれた関係の回復を確認したかったに違いない。(天野、前掲書) それはあるいはフェミニズムの研究方法の一つでもある、フェミニスト・エスノグラフィーが、男性支配社会において抑圧され続けた、「周縁」の女性が、そ れぞれの差異を越えてシスターフッドな連帯を目指していた(春日キスヨ、岩波社会学講座「ジェンダーの社会学」、1995)ということとパラレルな関係を 持っている、といっても過言ではない。 干刈の小説における女性たちが、天野の言うような「友愛」を構築させるということに、「周縁」の諸問題へのかすかな光を私たちは見出すだろう。そしてそ の事は、女性だけではなく周縁に生きる総てのものにとっての光でもある。「アァウゥ」という現実の中で形成されたヴァルネラビリティ(傷に根ざす力)を確 かな声として、その一つ一つが集まることによって、連帯を生み、一人一人の生きる支えとなる。そうした周縁による連帯こそが、あがた(周縁、周辺、辺境) に照らされる光なのではないだろうか。
■引用文献
干刈あがた、2000 「樹下の家族」朝日文庫
干刈あがた、2000 「ウホッホ探検隊」朝日文庫
干刈あがた、2000 「ゆっくり東京女子マラソン」朝日文庫
赤崎 久美、1993 「等身大の私が描き出したもの―干刈あがた論―」女性学年報所収
落合恵美子、1994 「21世紀家族へ 家族の戦後体制の見かた・超え方」有斐閣選書
暉岡 淑子、1998 「生活世界の変貌と教育」佐藤学ほか編
岩波講座現代の教育1「いま教育を問う」岩波書店
天野 正子、1996 「中年期の創造力―干刈あがたの世界から―」井上俊ほか編
岩波講座現代社会学第9巻「ライフコースの社会学」岩波書店
春日キスヨ、1997 「父子家庭を生きる」勁草書房
芹沢 俊介、2000 「ゆっくり東京女子マラソン―解説」朝日文庫
春日キスヨ、1995 「フェミニスト・エスノグラフの方法」井上俊ほか編 岩波講座現代社会学第11巻「ジェンダーの社会学」岩波書店
■参考文献
春日キスヨ、2000 「家族の条件」岩波文庫
アルフレッド・シュッツ、浜日出男、森川槙起雄訳、1982、「現象学的社会学」岩波書店
テリー・イーグルトン、大橋洋一訳、1990、「文学とは何か」岩波書店