鈴木 貞史

私と干刈あがた

2000年11月9日   鈴木 貞史

 私にとって干刈あがたは三人いる。初めて会ったときから順に、柳和枝、浅井和枝、そして干刈あがたの三人である。

 私は中学三年生のとき干刈あがたこと柳和枝と同級生だった。杉並区立中瀬中学三年E組。当時はクラス50名の半分25名程の女子の中で高校進学組は10 名位だった。昭和33年のことである。彼女とは受験組の補習授業でいっしょになった。英語の先生の質問に常に手を挙げ、正解を答えていたのが彼女だった。

 それから10年くらいたった頃、新宿の三越裏の喫茶店「プランタン」で偶然再会した。お互いにカップル同士だった。彼女はまもなく結婚して浅井和枝になった。私も結婚したが鈴木貞史のままだった。

 私は講談社に入社して今はなき「若い女性」(ViViの前身)編集部にいた。彼女がフィリピンにひとりで旅行したと聞いて原稿を依頼した。当時は女性がひとりで海外旅行しただけで、記事が採用される時代だった。

 それから15年後、彼女は第1回海燕新人賞を受賞し、干刈あがたとして三度(みたび)私の前に現れた。当時私は講談社で文芸出版部に在籍し、作家担当の編集者だった。

 『しずかにわたすこがねのゆびわ』で野間文芸新人賞を受賞した彼女に小冊子“イン・ポケット”の小説連載を依頼した。それから三年半の間連載してくれた のが『ウオーク・イン・チャコールグレー』だ。私は干刈あがたと柳和枝の二人に原稿を依頼した唯一の編集者かもしれない。

 私と彼女はエンタテイメント小説にしばしば出てくるような数奇な運命で結ばれていたようだ。天才であった彼女は若くして天に召され、凡人である私はだらだらと今日も生きている。

 彼女の忘れ形見である二人の息子、聡くんと圭ちゃんの成長をいつまでも見守って行くのが凡人にできるささやかな行いだと思っている。聡くん、圭ちゃん、がんばってくれ!