初めてお便りします。私は今、西アフリカのマリ共和国にいます。国際協力事業団の「砂漠化防止対策調査団」の通訳の仕事をしています。
子供の頃、アフリカで井戸を掘る人たちに何となく憧れた時期がありましたが、まさか自分が村に入り、各井戸の水質分析のための水を集めたり、農民の希望 を聞いたりしながら新しい井戸の場所を決め、井戸掘り作業を地元の業者に発注する仕事のお手伝いをするとは、思っても見ませんでした。
私は去年、最愛の母を亡くしました。その時は国内でしたが、母の元を遠く離れていて、満足に母の看病をすることもできず、後悔しました。今回いきなり全く知らないアフリカ行きを決めたのも、そんな自分を許せない気持ちが少し働いていたような気がします。
ここマリは貧しいアフリカの国々の中でも、特に貧しい国です。
でも人々は常に埃のように舞い上がる赤土の台地の上で、土を干したブロックを積み上げた家に住みながら、いつもニコニコ穏やかで、視線が合うと、必ず最大級の微笑を返し、大声で「元気?」と声をかけてくれます。
干刈あがたの作品の中に、「死ぬ気持ちで島に渡ったけれど、島のあまりの美しさに、ここで死ぬ事を考えるのは、島を汚すことだ」と気付き、東京へ帰っ た、というような話がありましたが、私も今全く同じような気持でいます。どんなに貧しくともマリにはマリの誇り高い暮らしがあり、人々は、最大の努力をし て、日々生きていたのです。
今ここは私にとって「聖なる国」となりました。この頃は、風の中に、年寄りの背中に、通りを行く子供たちの声の中に、ふと母の気配を感じるようになりました。
共産圏時代に作られた立派な大木の並木を、バイクで走りながら、私はいつも、会いたくてたまらなかった母に包まれているような気がします。
ニジェール川の夕焼け、マンゴーやパパイア、味のしっかりした野菜の溢れる市場。美しい肢体を、色とりどりの布で包んだ美しい瞳の娘達、どれも神の恵み に思えます。薄紅色の朝焼けに背中を押されて、新しい毎日を始めます。ここにいると、地球の主役は人間じゃないんだと気付きます。まるで教科書通りにくっ きり並んだ、つかみ取りできそうな星座、ローズピンクや黄色の背の高い木々に咲いた花々、廊下を走り回る大小のトカゲたち、ここにいると「神は公平なん だ」と信じたくなります。
先日村人の言葉にとっても感動しました。今回のプロジェクトの中に、村人の識字教育のための集会所設立という活動があるのですが、ある村人が「私たちに は木陰という立派な集会所があるので、わざわざ集会所を作る必要はない」と言いました。そう、こここそ「樹下の家族」の国です。人々は樹の下で太陽から身 を守り、お茶を沸かし、話し、笑い、勉強し、子育てをしています。
干刈あがたがマリに来たら、なんて言うかしらといつも考えています。きっと好きになると思います。木陰の人だまりの中に、こっそり干刈あがたが隠れていそうで、いつも何となく彼女の姿を探しています。
N.Y.